24回の前の話(前編)
先週の「ワイドナショー」に、一般企業の社員になったハチミツ二郎が出ていましたが、最近の自粛期間に芸能人としての仕事はしたのかという質問に対し、「クイズ!脳ベルSHOW」に出たりと言うと笑いが起こります。松本が「なんでクイズ脳ベルSHOWって出たらみんな笑うんやろう」。番組の立ち位置がよくわかります。
さて、今回は2004年5月に書いていたものです。
――――(ここから当時の引用)――――
5月6日の毎日新聞の夕刊(大阪本社)に、児玉清に「アタック25」について
聞いた長い記事が載っています。ここで書くような新しい情報といえば、かつて
「I Left My Heart In San Francisco」という
ジャズの邦題を聞く問題で「霧のサンフランシスコ」など正解を8つ調べたが、解答
者の誤答も実は正解だったことが放送前にわかって、出場の4人を再度大阪に呼んで
収録をやり直したそうです。まあ、高校生クイズでもかつて、第1問が出題ミス
だったため、同じ地区の予選を後日やり直したことがありますが。
話は変わって、3月に九州新幹線が開業しました。このため、八代から西鹿児島まで
の在来線はJRでなくなりました。これを前に、日本旅行鹿児島支店が、かつて東京
から西鹿児島まで走っていた時代の「はやぶさ」を復活させるというツアーを企画
しました。ついでにその折り返しは、これも現在は大幅に区間が短縮されている、
東京から西鹿児島までの「富士」です。この「富士」の方に乗りました。私が自由に
旅行できるようになったころには、すでに西鹿児島まで走っていませんでした。それ
がどうしたのかというと、一緒に乗っているメンバーの中に、高校生クイズの元構成
作家(でテレビフォーラムのシスオペ)の人がいたのです。鉄道マニアらしいという
うわさは聞いていましたが、この列車に24時間以上乗り続けるほどの人とは知り
ませんでした。これに乗る時間を捻出するために、近辺の仕事を全部断ったらしい。
関係ありませんが、20回の全国大会の「Fire号」というのはもちろんこの人の
企画で、企画したのに自分は乗れなかったそうです。
――――(ここまで)――――
収録をやり直したということは、最初の収録で勝っていたのに、それがなかったことにされた人がいるわけか。バック・トゥー・ザ・フューチャークイズみたいです。
この時代のはやぶさは東京から熊本まで、富士は東京から大分まででした。逆にまだブルートレインがあったことに今となっては驚きます。私は結局、翌日の仕事の関係で西鹿児島までは行けず、隼人で降りて鹿児島空港に向かいました。
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