クイズ文トーク(その25)
最近NHKは、過去の「ストーリーズ」を次々と再放送していますが、来週の土曜日はついに「ノーナレ」のクイズ王が再放送されます。プロフェッショナルをやったのにナレーションのない方を放送するのか。実は私は「ノーナレ」が始まったときから、ナレーションのない画期的なドキュメンタリーって、それは放送局の内輪の話で、視聴者にとってそれが何の意味があるんだと思っていました。
それではクイズ文です。飯間「これ知ってますかという球を投げて、受けてくれたときに快感を感じるんじゃないか」「ギリギリの球を投げてるときほどうれしい。クイズをやっている人がみんな知っていることを出題するなら簡単だが」。誰も答えられなくても、それをきっかけにそういう情報があるんだと思ってくれることもクイズの機能の一つではあるが、答えが出なくて情報もおもしろくないのはいい問題とはいえないとのことです。
答えられなかったとしても、そういうのがあるんだという失敗が記憶に残りやすい。ここでゲンロンの人が、ゲームを作るのもクイズ作成と似ているといいます。簡単にできない問題を設定して、いちいち邪魔をして、失敗を繰り返しながらゴールできるようになったときの気持ちよさを設計しているそうです。ゲームはほどほど難しいのを目指します。簡単だと飽きるし難しすぎると心が折れるからだそうです。この後、カント。
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