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2012年9月10日 (月)

クイズ番組の歴史(その2)

 この前の「ペケ×ポン」の1時間バージョンの話ですけど、16人ぐらいのトーナメントで、「○○と××は○○が勝った」というダイジェストが延々と流れて、川柳が2、3問しか出ませんでした。それでも、1時間地域のために番組を編集し直すという点ではフジテレビは評価できます。先週、「路線バス乗り継ぎの旅」は、テレビ東京だけ前の番組をつぶして18時半からにして、他のネット局はいきなり初日の夜から始まるという最低の編集でした。

 それでは「タカトシの時間ですよ!」です。1975年4月に始まったのがアタック25。こちらはアップダウンクイズと違ってパネルにも「テレ朝」と書いてあります。1984年に児玉清が休んで板東英二が代理をやったという話が出ます。当時、大阪でクイズ番組の司会を3本やっていたので呼ばれたそうです。「ノンストップゲーム」とか「THEビッグ」とかですね。
 次はぴったしカンカンです。自局の番組なので映像があります。ここで中田敦彦が「ぴったんこカンカンじゃないの」と言っている声が聞こえます。中田の世代だとぴったしカンカンを知らないのか。第1回で、三木首相のこの日の昼食を当てるという問題をやっています。実際にスタジオで答えます。そして問題文の空白のことを「ホニャララ」というのは久米宏が始めたという話です。あと、現在のぴったんこカンカンでもスタッフロールに「原案・秋房子(萩本欽一のペンネーム)」と出ているというのは知りませんでした。

 次はクイズダービーです。映像があるのですが、オープニング前の「ロート、ロート、ロート」が流れるのです。まさかスポンサー名の部分を使えるとは。宮崎美子が出ていた時代です。一般人にボカシがかかっていません。
 宮崎によると、はらたいらがあまりに当たるので、あるとき、あの問題はなんで答えられたのかと聞いたら「先月号の月刊僧侶に載ってた」と答えたそうです。月刊僧侶というのは、スタッフのインタビューでもよく、ネタの宝庫として話題になっています。つまりスタッフが問題のネタにするものをはらがつかんでいるため、ものすごくできるように見えるという、今の高校生クイズと同じ構図なのです。
 1986年、1問目ではらたいらに全部賭けたのは誰という問題が出て、CMになります。正解はとんねるずで、大橋巨泉が激怒して未遂に終わったそうです。あと、山里が、ガッツ石松は自分が解答席にいるのにはらたいらに賭けようとしたという話をします。本当か? この後、さらにガッツの話。

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コメント

ウィキで見つけたのですが、ニッポン放送の吉田尚記アナウンサーが麻布高校のメンバーとして第11回に全国大会に行ったことが書かれてました。あとNHKの斎康敬アナウンサーことをご存知ですか。今はラジオセンターですが、渋谷時代にはことばおじさんのサポートを務めてた人です。彼も仙台第一高校のメンバーで第11回に出ました。よくみたら第11回は浅越ゴエさんだけでなく後にメディアで活躍する人の全国大会進出が目立ちますね。

投稿: | 2012年9月10日 (月) 22時33分

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