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2006年10月15日 (日)

どんQ

 ミクシィについていろいろなコミュニティがあると書いたばかりですが、「どんなモンダイQテレビ」についてのもあるということがわかりました。と言ってもできたばかりでしたが。
 この番組について知っていますか。1984年から85年にかけて放送されていたと思いますが、月曜から金曜の18時10分から18時30分までやっていました(後に毎週月曜日の18時から18時30分に)。このころはまだ、NHK総合の18時台前半は子ども番組枠だったんですね(今や情報番組がどんどん前に拡大して、というか、子ども番組が総合テレビから完全に駆逐されました)。「どーん、Q」というポーズが「カルトQ」と同じでした。
 司会の中村克洋アナウンサーは、広島放送局に転勤になってアジア大会の司会を草野満代とやって、その後東京に戻ることなく退職してテレビ朝日のキャスターをやりましたが、結局広島に戻って、中国放送で長く司会をやった後、いまは広島の大学の教官らしいですね。私はブックオフで、中村アナウンサーが書いた非常に後ろ向きな内容の本(NHK時代に東京に戻れなかったことの不満などが書いてある)を見たことがあります。
 帯番組の時代は、3人の解答者は固定で、曜日ごとにジャンルが決まっていて、5日間の合計点で勝者が決まるのでした(金曜日の最終問題は6ポイントを正解者で分配)。さて、その解答者ですが、志賀真理子という非常にかわいい女子がいました。私がテレビに出る女性を見て「この人かわいい」と思ったのは彼女が最初だったと思います。その後、歌手デビューしましたが、20歳を前に事故死したのがショックでした。今でも志賀真理子関連サイトはいっぱいありますね。
 高校生クイズの関東大会では一時、毎回アイドルが3人来て歌うというのをやっていました。私は第2回以降の関東大会で、3回と6回だけ現場で見ていないのですが、6回の関東大会では志賀真理子が歌っていて、一生で一度の生で見るチャンスを逃したことを悔やみました。ちなみに7回までの西武球場での関東大会は、第1問の正解発表前から誰でも会場内を見ることができるようになっていました(入口の選択肢が4つあったため、YES-NOとNO-YESの受付は観客席ゲートをくぐってからかなり奥の方に設けられていた。YES-YESとNO-NOはグラウンドへのゲートから入る)。
 話が戻って、ミクシィのそのコミュニティを読むと、もう1人の解答者であった森宙太もすでに亡くなっているということがわかりました。解答者3人のうち2人がすでにいないとは。

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