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2006年4月20日 (木)

視聴者参加クイズの衰退(その3)

 映画「シムソンズ」を見ました。大泉洋が予想外にずっと出ていたという話をしている観客がいました。主人公がカーリングを始めて以降全部ですからね。その大泉洋を2000年の時点で知らなかった私。
 それではクイズ番組衰退の続きです。(その1)も(その2)も今だと当たり前過ぎて書く気がしない内容ですが、当時は新鮮だったと思います。クイズを芸とする人を見せるというような話は、私がこの文章を書いたころにはマスコミで取り上げられていなかったように思います。

−−−−(ここから当時の引用)−−−−

私は、ウルトラは10回ぐらいがピークだったのではないかと思っています。
あのあたりの時点で番組として完成してしまって、
制作側としては、何をやっても前よりつまらなくなってしまうという
悩みを抱えていたのではないかと思います。
そういった中でスタッフは毎回、なんとか盛り上げようと、
あるテーマに沿った企画を立てるようになりました。
そして第13回の「クイズに非常に強い人大会」が出てきます。
あのとき勝ち残った人たちは、何も偶然クイズマニアばかりだった
わけではなく、そういう人が選ばれたのです。
これは○×クイズで調整できます。
長戸本に「今回はなぜか全部の問題を誰かが知っているという
素晴らしさ」という表現が出てきたと思いますが、
これは、出題側が、彼らのような人たちが知っていそうな問題ばかりを
出したからに過ぎません。
第1問が、本にちゃんと載っているような問題だったのも、
勝ち抜けが決まるまでの問題数が他の回に比べて異常に多かったのも、
理由はそこに帰着されます。

−−−−(ここまで)−−−−

 ウルトラクイズは出場者に面接があるわけではないので、○×クイズがオーディションになっていたのです。14回はこれとは対照的に、徹底的にクイズの素人だけを本土に残そうとしたため、でっちあげ系の問題を連発して、実際にクイズマニアを全滅させました。

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