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2005年12月21日 (水)

20回沖縄大会(その1)

 訂正です。先日、「女性セブン」について「母親が熱心になっていました」となっていましたが「熱心に読んでいました」の誤りです。

 それでは今回は20回沖縄大会です。ここを選んだのは深い理由はありません。テレビを見ていたら、秋田で「東風」をどう読むというのをやっていて、そういえば沖縄の東風平という地名について書いたことがあると思い出したのです。

−−−−(ここから当時の引用)−−−−

私は専攻の関係で、10年以上前からインターネットを使っています。まだ、日本で
インターネットに接続できる機関が数えるほどしかなかった時代です。この当時、
インターネットを通じて、高校生クイズの予選の第1会場の情報がすべて流れてくる
などとは想像できませんでした。今や、高校生クイズを現場で見ようという人たちの
ネットワークが確立されていて、参加者のだれかが知ったことは、あっという間に
全国の同好の士に伝わるようになっています。

毎回、まず現地へ行って第1会場へたどり着けるかというのが最大の問題でした。特
に沖縄大会は参加者が少なくて鉄道がないので、参加者と思われる人を見つけて
ついていくのも非常に難しい。しかし、北谷町のサンセットビーチが会場であること
が事前にわかっているので余裕です。沖縄大会は当初は毎回会場が違いましたが、
11回に残波ロイヤルビーチになってからずっと固定でした。しかし昨年からまた、
新たな会場を発掘するようになりました。残波に比べればかなり那覇に近い会場
です。ここなら那覇からいくらでもバスが出ているので、参加者がいそうなのを
選んで乗ります。3人組の高校生同士が「出るの?」とか会話しています。3人組が
降りる停留所に合わせて私も降ります。

ビーチは国道からはかなり離れていますが、番組のテーマ曲が聞こえてきます。今年
の入場ゲートは、空気を入れたチューブを半円形にしてあります。F1のコースに
あるダンロップのようなものです。東京から来るスタッフのTシャツがオレンジだと
いうこともわかりました。この色は初めてです。最初の予選はいろいろ新鮮です。

昨年から沖縄大会は移動しないという原則が崩れたので、次の会場探しをおろそかに
してはいけません。会場周辺を歩きます。決勝会場が近くにあるなら、すでにセット
の一部がつくられていなければならないはずですが、そのようなものは見あたり
ません。やはり移動するようです。すると、会場近辺のだれもいない道で、決勝会場
がどこであるかあっさりわかりました。予選の次の会場を知るコツは、「正面から
会場に入らない」ことです。昨年の中国大会で、決勝の会場を見ようという人たちが
みんな玉砕したのに私だけがわかったのは、最初から参加者とまったく違うルートで
会場に来たからです。

しかし、その決勝会場の名前を見て、私は自分の目を疑いました。恐ろしく遠いぞ。
ここから移動するのに何時間かかるだろう。どうして決勝がそんなところなのに北谷
を第1会場にするんだ。これは、8回北陸の厳門や8回中部の鳥羽に匹敵するくらい
移動時間がかかるのではないか。最初の予選からこれでは先が思いやられます。

10時になってクイズが始まりました。第1問は砂浜を走ります。どう考えても
サミットしかあり得ないわけですが(そもそも沖縄大会が久しぶりに最初の予選に
なったのは、サミットの影響がないうちに一刻も早く終わらせたいからだろうし)、
実際に出た問題は、今年の沖縄にはそのネタもあったかと思わせるものでした。移動
が終わったところで、沖縄アクターズスクール出身と思われるグループの踊りが
あって、その中に福澤アナが加わります。そして、今年のYES−NOクイズは過去
3年と違って、昔のように10チームになるまで続けられることが発表されます。
ホームページで募集した問題がたくさん集まったのでしょうか。

第1問の正解発表があったところで当然、沖縄テレビの古川アナが出てきて敗者復活
の要請をします。今回の条件は、古川アナが、さっき福澤アナのやった踊りを
ちゃんとできたらだそうです。そして第2問を出そうとすると、今度は「TVおじゃ
マンボウ」の菅谷アナが出てきて、自分に問題を読ませろと言います。この番組は
必ず最初の予選に行って取材することになっています。「木曜5時25分からの
『ロンブー龍』に出ています」と、ちゃんと沖縄での放送日時で言っていました。
しかし会場からの拍手での判定で、2問目も福澤アナが出す方がいいということに
なり、あっさり菅谷アナは排除されました。もともと、どういう台本になっていたの
でしょうか。

−−−−(ここまで)−−−−

 私は90年ごろからメールや掲示板でインターネットを使っていました。当時は大学の特定の端末でしか使えなかったので不便でした。日本中で、いくつかの大学と特定のメーカーなどにしかインターネット環境はありませんでした。95年ごろに世間が急にインターネットと騒ぎ出したころ、なんで今さらインターネットなんて言っているんだと思いました。
 東京のスタッフのオレンジのTシャツは、暑苦しいからか、途中から誰も着なくなりました。
 「ホームページで問題を募集」なんてすっかり忘れていました。この回は自作のYES−NOクイズを応募できたのです。実際に一般人が応募した問題が出題されたのかはわかりません。

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